2009年2月19日(木)
矯正余地?

 
 ■ 矯正余地?
  
 「矯正」と云っても今日は下着に関連はありません。また、「矯正下着」と呼ぶのは私はあまり好みません。「補整」は補って整える意味合いだが、「矯正」は無理やりつくる中国の「纏足(テンソク)」イメージになるからです。ともあれ、今日は昨日判決で、裁判官が「星島被告の矯正余地を指摘」したことに私自身が反応してしまいました。

 法的な知識を持たない私が触れるには、問題もあると思いますが、最近の裁判の方向性に疑問があるのはいなめません。余りにも単純な発言とは思いますが、「一人の殺害は無期懲役」「二人以上は死刑」のような風潮があることに違和感があるのです。

 平等・公平を原則とするなら「人を殺せば、死を持って償う」がその原点ではないかと考えるが、前述のように複数殺人は死刑のような流れを感じるのは私だけであろうか。

 
星島被告を担当した平出裁判長は「わいせつ目的というゆがんだ欲望で被害者を拉致し、命を奪った極めて卑劣な犯行。死体を細かく切断して投棄するなど遺族の心情も踏みにじり、死刑の選択も考慮すべき事件」と位置づけるも、「自己の犯罪に向き合い被害者の冥福を祈るなど矯正の可能性があり、究極の刑罰である死刑は重すぎる」また、「被害者の数」「計画性が無い」「逮捕後の自供や被害者への冥福・反省」「前科・前歴がない」等々を考慮して無期判決に及んでいる

 2月5日の■勝者で記載した、「取った者勝ち」「云った者勝ち」「やった者勝ち」「声のデカイ者勝ち」に「殺したもの勝ち」を加えたくなる心境である。これでは、殺人事件を犯しても死刑にはならないと云っているように感じてしまうと共に、殺人事件が減るようにも思えない。正に「殺したもの勝ち」になってしまいそうな、直感的な感覚を感じてしまいました。ご遺族の無念さに同情するとともに、被害者のご冥福を祈念申し上げます。
 



 

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